私はこういう人だから。そう言いながら、それを本当に信じていますか。
自分を説明するための言葉は便利だ。それ以上踏み込まれないし、自分でも見なくて済む。でも、そのラベルをいつ貼ったのかを考えると、ずいぶん昔のことだったりする。
最初は自分を説明するためのラベルだったのに、いつの間にかそのラベルに収まるように動いている。可能性を自分で狭めていることに、ふと気づく瞬間がある。
ミカとナオコは、4月1日の午前9時50分、自分に貼ってきたラベルについて話している。ラベルの下に何があるかを、静かに探る会話です。
4月1日 9:50 AM〜自分に貼ってきたラベルで〜
ミカナオコさん、自分のことを人に説明するとき、いつも同じ言葉使ってるなって気づくことありますか。



あるよ。私って大雑把だからって言い訳みたいに使ってるけど、本当に大雑把なのか、細かいことを見ないことにしてるだけなのか、最近怪しくなってきたかな。



私も効率重視なんでって言いながら、実は面倒なことを避けてるだけのときあるんですよ。ラベルがあると、それ以上考えなくて済むから便利で。



便利なんだよね。私はこういう人だからって言えば、それ以上踏み込まれないし、自分でも見なくて済むし。



でも、そのラベルって、いつ貼ったんだろうって考えると、けっこう昔のことだったりするんですよね。もう違うかもしれないのに、ずっと使い続けてて。



私も専業主婦になってから、お母さんキャラみたいなのが定着してきて、その前の自分がどういう人だったか、思い出せなくなってきたかな。



思い出せなくなるんですね。ラベルに自分が合わせていくというか。



合わせてくんだよね。最初は自分を説明するためのラベルだったのに、いつの間にかそのラベルに収まるように動いてるから。



私はこういう人って決めてしまうことで、可能性を自分で狭めてる気もするんですよね。安心のためにやってることが、逆に動けなくする枠になってて。



そこはそうかもしれないよ。ラベルを外したとき、じゃあ私って何なんだろうってなるのが怖いから、貼り続けてるのかもしれないし。



ラベルがなくなったとき、何が残るのかって考えると、少し怖いですよね。



怖いけど、たぶんそこに本当のものがあるんだろうね。ラベルの下に何があるか、見ないふりしてる間は、自分のことを知ってるようで知らないままなんだろうから。
「自知」としての価値観と向き合うとき
ラベルを外したとき、じゃあ私って何なんだろうとなるのが怖いから、貼り続けているのかもしれません。
安心のためのラベルが、いつの間にか動けなくする枠になっていることがあります。自分のことを知っているようで、ラベルの下を見ないふりしているとしたら、本当の自分とはまだ会えていないのかもしれません。
怖くて当然です。でも、そこに本当のものがあります。
あなたの「自知」という価値観はどこにありますか?
・自分を説明するとき、いつも同じ言葉を使っていますか
・「私はこういう人だから」と、可能性を閉じたことがありますか
・昔の自分のラベルを、今もそのまま使い続けていますか
もし一つでも引っかかるものがあれば、ワークへどうぞ。








